hentekosanta’s blog

ヘンテコサンタがお届けするヘンテコな日常ブログです。

様々な一歩

どうもー、ヘンテコサンタです。お久しぶりです、あけましておめでとうございます。

 

いろいろありまして、投稿ができずすみませんでした。でもなぜこのタイミングで投稿しようと思ったかと言うと今後の人生の第一歩になればと思い再開しました。

 

今私は人生の岐路に立っています。仕事のことで悩み倒しているんですが、なかなかやりたいことが実現できない。これだけ聞けば「お前の頑張りが甘い!」とか「逆に簡単に目標を達成できたら思わなくね?」って思った方もいるかもしれません。問題はそこではないんです。私の問題は英語教育全般です。英語教育が抱える問題に対して自分としては答えは出ているのですが、それが仕事に生かせず悩み倒しています。英語教育は結局テストで点が取れればいいや入試に合格すればいい、TOEICで点が取れるやつが評価されるみたいなものになっていて結果英語は言葉ではなく知識で終わるのかと痛感しています。そんな英語教育はやっぱり嫌だと1年間思い続けてきました。そもそも私が英語に初めて出会ったとき感じたことはやっぱり話せたらかっこいいなということでした。英語を見て問題が解けたらかっこいいななんて思ってもいませんでした。おかげさまで中学の3年間はさっぱり英語がわかりませんでした。中学の3年間で躓くって言う珍しいタイプでした。高校に上がり、一から学び直し、英語の構造がわかるようにはなっていきましたが、思ったことが言えることはありませんでした。高校ではちょっと英語がわかるようになったということからテストでは点が取れるようになりましたが結局それで終わっていました。幸いなことに、ほぼ毎日音読練習をしていたから少しは話すことができましたが、やはり英語を読んでいるはずなのに日本語が頭から抜けず英語を日本語に介して理解している自分がいました。音読を通して英語を英語のまま理解することをどこかの予備校講師が言っていましたが、そもそも私たちは日本語を日本語のまま理解しているのだろうか。高校生のときはそんなこと考えずに英語を英語のまま理解するために音読だ!と思っていましたが、ふと思った時、日本語を日本語のまま理解していることはないと思ったのです。日本語を聞いたとき、浮かぶのは状況(イメージ)であると。今のまま英語を日本語に訳したり、英語を英語のまま理解することを勘違いしていては話せるようにならないと感じました。そこから私が思い描いた英語教育は英語×イメージの教育でした。これを実践しようと英語のかるたを作ったり、掲示物を英語にしてみたり、写真の状況を英語で表現させたりいろいろ試行錯誤を重ねましたが、あまりよい成果は得られませんでした。

結局テストで点が取れればなんでもいいみたいな風潮があるので、意味はなかったかと感じています。

テストがある以上、英語は教科という位置付けのままになってしまう。

これが変わらなければ自分はなんのために英語を教えているのかと日々答えの出ない問いと戦っています。

これがしたければ結局また別の道を考えるしかないのか、一歩踏み出してみるかと考えながらもどんな一歩を踏み出すべきかで悩み倒している状態です。

個人的にももちろんイメージを使って英語を身につける努力をしているところで、英語は日本語同様完璧になることはないと思うが、日々新しい言葉に出会い口頭練習を繰り返して英語でのコミュニケーション(英語を使う上での第一歩)に生かせるように取り組んでいます。